日々のあわ

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2009年 08月 04日

浮いたり沈んだり

 夏休み中につき学校の冷暖房の工事をしていて、ガンガン音がします。エアコンも効きません。PCからふと眼を上げると、天井から足がにょっきりでていたりしています。今日は午後、隣の部屋で「キャー!」という声がしたので、見に行ったらエアコンの部品(鉄製)が落っこちてきたらしい。業者に言ってください、管理職。うら若き女性の職場ですから、シャレになりませんぜ。

 春からこっち、浮いたり沈んだりしています。仕事のこともあり、プライベートのこともあり、政治に突っ込んだり(それで落ち込むことはないけれど、うちの組織の存在に関わるので、多少は関心アリ)、テレビに突っ込んだりしてます。





 受験生が大半を占めるので、秋~冬の受験シーズンには、カリキュラムをこなすことと学生の進学先を見つけることで、ひっちゃかめっちゃかになります。ゾンビになるのが、年間通して2~3カ月くらい。その間は連日のように遅くまで学生を残し、自分も遅くまで残業するので、給料は上がりますが、使う暇も気力もない時期が続きます。
 
 で、学生を進学先に押し込んだ後は、休む間もなく次の学生がやってきます。前の学生とはたまーに会ってご飯を食べたりもしますが、彼らは彼らで大学院生活が忙しいので、それ以上の付き合いはなし。まあそんなもんだなーと思うけど、ちょっとさみしい。日本語学校って基本的にこの繰り返しです。学生の誤用を集めて研究で積み上げていく時間もなければ、新しい教材を作る時間もない。

 毎日接する学生は受験生なので、とりあえず神経質です。慣れないうちは、「大学院の先生からメールがあったんだけどどうしたらいい?」といって、夜11時に電話をかけてくる人もいます(慣れてくると&注意するとさすがにそれはなくなるけど)。

 人事的に2年目は鍛えどころらしく、もう新人扱いはされません。同期が産休に入るので、必然的にバリバリの働きどころとしてカウントされるようで、次は学校で一番上のクラスだし。まあこれは仕方ない、というか2年目で任せてもらえてありがたいと思います。

 何が一番消耗するかと帰る道々考えたところ、やはり学生とのやりとりではないかというところに落ち着きました。もちろん、受験の相談も受けますよ(仕事だし)、訳わかんない日本語(時に英語)の研究計画書をうまーい日本語に翻訳しますよ(日本語教師だし)、授業の補習もします(授業で終わらなかったしね)が、我ながらひどいと思うんだけど、不安とか迷いとかいう気持ちはそっちで処理してもらえないだろうか、と思うのです。学生とはいえ、大学を卒業してるんならあなたは不安を自分で処理することのできる大人だとみなしたいんですが、それは難しいんでしょうか、と思うのです。不安を受け止めていたら、それだけで消耗して、進学指導なんてまともにできません。

 と思いつつ、例えば何か悪い病気が見つかって病院に検査に行ったとして、結果が分からない間は不安だよなあ、とも思います。先生に「治りますか?」「悪性の可能性は何パーセントですか?」「もし手術することになったら、完治する可能性は何パーセントですか?」って詰め寄ることだってあるかもしれない、とも思うのです。
 それに学生の成長に寄り添う先生でありたいという自分のポリシーもあり、そのポリシーと自分がしようと思っていることが相反していることにも気付いているのです。

 でも、しんどい・・・

 この繰り返しです。2年目だからしんどいのかな。3年目になったら不安を受け止められて、進学指導にも力が注げるようになるのかな、とか思ったり、日本語学校は合わないと思ったり。時間が経てば分かるとも思えませんが、目の前に学生がいる限りもう少し続けるしかなさそうです。あさってから夏休み。
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by schnarak | 2009-08-04 23:00 | days


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