日々のあわ

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2008年 07月 19日

主観的な目

 今日は一日色んなことがある日だった。
①聴解の試験で、階全体で音が聞こえないというハプニング。配線の接触不良らしい…昨日確認したのに~。
②得点調整についての会議で、担当の先生が泣き出す。
③帰り道に出会った非常勤の先生が飲み会の日を1週間間違っていた(ほんとは先週の金曜)。



 4月からと8月からと担当するコースが変わります。で、その勉強も兼ねて今回は8月から担当するコースの試験監督(=評価)が当たりました。やっていることは大学院入試の口頭試問のためのプレゼンテーションです。pptを使ったプレゼンで、自分の大学院時代のことを思い出しながら、研究計画についての学生のプレゼンを見て評価する訳です。

 4月からの3ヶ月でpptの使い方から始め、計画書の中身、pptの中身、発表の態度、読み上げ原稿までの指導なんかを行っているようです。だからまあ、授業を受けてれば一通りプレゼンできる状態にはなるみたい。でこのテストは、あらかじめ教えていた先生が評価基準を作り、学生のpptのスライドと評価表を準備して、学生がプレゼンするのを指導していない先生が見て評価するというもの。

 ブログに書くことで世間一般の目にさらすことになるので詳細は省きますが、今日もやっぱり憤ってます。憤るというよりも、危機感、の方が正しいかな。今回のテストの評価者は、評価者として指導を行っていない人を割り当てていたので、プレゼンとしての出来具合を目的としていたはず。でも採点者によって平均点に30点近くもばらつきが出てしまったせいで、得点調整を行うことになりました。で、担当者からの言葉が「事前に申し上げなかったのが悪かったんですが、『普通』だったら真ん中より1スケール上の点を付けてください」「過程を見ていないから評価するのは難しいと思いますが、過程を評価して甘めにつけてください」とな。
 
 今回のテストはクラス分けを目的としていて、学生の到達度を測るものなので、そんなにひどい成績は付けられないという。今のままの点を学生にフィードバックすることはできない、と。それはもっともです。そして過程を知っている先生だからこそ、学生の努力に対して点を上げたいという気持ちはとてもよく分かります。でも、だったらなんで?という気持ちで一杯でした。おそらくの会議に出ていて、指導を行っていない人は全員そう思っていたと思います。

 同じプレゼンを見て事前に評価基準を刷り合わせる作業をしたところで、指導をしていないんだからつける点は一緒にはならない、だったら初めから指導を行った人の持ち点というのを作ってはどうか、という提案をしました。この提案は指導を行っていなくて採点をした他の先生からも出ました。でも、最終的に試験を作った側の対応は、再度録画した学生のプレゼンを見て、評価を刷り合わせ、それを外部(=指導を行っていない人)に提示し、もう一度評価を行うこと。これでは外部の人を入れる意味が全くない。何のための採点なのか分からない。

 この会議をしている最中で、まとめ役の先生が泣き出して途中でいなくなってしまいました。そしてもう一人の先生は表情1つ変えずに、私たちが言う話を聞いている振りをしながら、管理職や自分より立場が上の人の話をうまくまとめていきます。この構図ってどうなんでしょうか。泣いて自分の仕事を放棄する(というか、結果的に放棄してしまった)人がいるかと思えば、ただ自分たちの主張を押し通す人。結局、何のために外部の人が入ったのか、誰が聞くことを前提としたプレゼンなのかについては、今も分からないまま。こちら側の疑問に関しては1つも明確な答えが得られませんでした。おそらく、指導を行っている先生方もよく分からないんだと思います。
 
 話を聞こうとしない人にこちらの言い分を伝える。そして一緒に学生の能力を評価するよりよい方法を見つける。したいのはこれだけです。対立は避けて、同じ立場で前を向く。
 今回は会議の場が与えられ、一言でも発言ができたことでよしとします。しかし、先は長い。
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by schnarak | 2008-07-19 02:15 | education


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